加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年(昭和12年)4月11日 - )は、俳優・歌手・作曲家・タレント、ギタリスト。神奈川県横浜市出身(育ちは茅ヶ崎市)。本名・池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは若大将。血液型A型。
父親は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(岩倉具視のひ孫。)。妻は元女優の松本めぐみ、長男でコンピュータグラフィックの会社を経営する池端信宏、次男で俳優の山下徹大(てつお)、長女でタレント・料理研究家の梓真悠子、次女で女優の池端えみ。
母方の高祖父は、500円札にもなった政治家の岩倉具視である。
『エレキの若大将』の中で『君といつまでも』を歌うシーンについて、現実にはあり得ない展開であることを加山が指摘したが、「映画だからいいんだ」とスタッフに押し切られた。結局、加山が折れることで撮影が行われたが、こうした経緯から加山は歌詞の内容とミスマッチな仏頂面で歌っている。2007年9月2日放送の『新堂本兄弟』に出演した際、この件について「いまだに納得していない」と語った。
1966年6月、ビートルズ来日の際に東京ヒルトン(現在のキャピトル東急ホテル、2007年現在建て替え中)に宿泊していた4人を訪ね、会食した数少ない人物。
2004年、ニッポン放送のラジオ番組・坂崎幸之助のオールナイトニッポンに生出演をした。彼はすこぶる機嫌の良い様子で坂崎とのセッションで持ち歌の生演奏をした。ギターだけでなくピアノの弾き語りも一流である。
テレビ朝日系で放送されていたクイズタイムショックではパーフェクトを達成したことがある。
中学時代にカヌーを造って以来大小10隻以上の船も設計しており、光進丸という、自ら設計した全長30メートルを超える船を所有している。自ら『光進丸』という曲も作るほど、愛着が伺える。現在の船は3代目で、建造費用は5億円と言われている。加山は小型船舶免許や5級海技士免許を所持しており、「海の若大将」では初代光進丸が劇中に登場する。
1970年のパシフィックパークホテル倒産時には、23億もの借金を抱えたが、10年がかりで返済した。1個の卵を夫婦2人で分けあって、卵かけご飯を食べたという苦労も味わった。
大のゲーム好きで、少しでも時間があるとプレイステーション2でバイオハザードシリーズや鬼武者シリーズをやっている。特にバイオハザード1ではナイフ使用限定クリア、鬼武者シリーズでは1作目において57分というクリアタイムを叩き出している。この記録は世間的に見ても、相当上手でないと達成できないことから、その熱中ぶりが伺える。ゲームをやりだしたきっかけとしては、老化防止になると友人から薦められたからだと語っている。2006年4月5日放送の『ウチくる!?』スペシャルに出演した際は『ファイナルファンタジー』について熱く語った。ハドソンのスーパーファミコン用ソフト「鮫亀」ではゲーム音楽とイメージソングの作曲を手がけている。また、バイオハザードシリーズのみであるが、ニンテンドーゲームキューブやWiiも所有している。
鉄道マニアでもあり、「加山雄三ミュージアム」には自身の鉄道模型コレクションが多数ある。雑誌・鉄道ファンにインタビュー記事が掲載されたことがある。
慶應義塾大学在学中にスキーで国民体育大会に出場したことがある。スキューバダイビングも楽しむ。
JR茅ヶ崎駅南口から、かつて加山邸があった場所を経て国道134号に通ずる神奈川県道310号茅ヶ崎停車場茅ヶ崎線は、「(加山)雄三通り」と名付けられている。
1986年の『紅白歌合戦』で司会者を務めたが、少年隊の『仮面舞踏会』を紹介する際、誤って「…少年隊、仮面ライダー!」と言ってしまった。
日本のポピュラー音楽界において、数多くの「初」物を行っている。すなわち、日本初のシンガーソングライター (『君といつまでも』、1965年) であり、日本で初めてトリビュート・アルバムが製作されたアーティスト (『60 CANDLES』、1997年4月23日・FHCF-2376) であり、さらに東京文化会館のステージに初めて立ったポピュラー歌手(2006年)となった。
さだまさしが、2006年まで毎年8月に行っていた平和を祈念したコンサート「夏・長崎から」に共鳴し、1996年から10年間連続でゲスト出演した。2007年に行われた「夏・広島から」にもゲスト出演している。
絵画(油絵)の腕前は玄人はだしで、個展も開いている。料理の腕も一流でまわりの人に手製料理でもてなすこともある。
UFOに詳しいらしい。
英語は日常会話には全く不自由しないほど達者である。
『8時だョ!全員集合』に出演した時、台本上は笑いを取ることになっていなかったが(当時所属していた東宝が「笑いを取らせる様な事をさせない」事を条件に出演を了承していたため)、「馬鹿なことだろうと何だろうと笑いを売りにしている番組に出て笑いを取らないのは、歌番組に出て歌を歌わないのと同じ事」とスタッフの反対を押し切って本番で加藤茶の「ウンコチンチン」を披露した。
上記以降、特に1990年代以降はバラエティー番組への出演が増えた。その際の有名なエピソードとして、全く親交が無く「たまたま近くにいた」だけで、浜田雅功に「おい雄三、コラァ」といじられ、浜田は後に謝りに行ったが、「なぜ謝る必要があるのか」と返したエピソードがあり、バラエティー番組においては、いじられる事に対しては寛容な方である。
くわやまゆうぞうとして自分の物まねをしていた南原清隆に「くわやま君とはデビュー以来親友だったんだよ」と茶目っ気たっぷりに返したりしているのだが、あまりに大御所クラスな事もあって、加山を知る一部の芸能人を除き、いじる側もやや遠慮気味である(くわやまとのからみの際は、南原は出演を知らされておらず、ただ苦笑いをするだけであった)。
いじられパターンは、「人の話を聞かずに多く喋ってつっこまれる」という現在の大御所の王道パターンである。前述の浜田とのからみの際に多用した事から定着したのだが、やはり、他の若手芸人などは突っ込みづらいようだ。
2007年7月29日、東京銀座の山野楽器で自身が過去衆議院・参議院ともに出馬要請が10回以上あったと発言した。ただ「自分には向いてないね」と控えめなコメントできり交わした。
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